ずずの奇妙な冒険(7)営業の現場の巻
コミュニケーションとは?
僕が仕事を通して日々、思うこと、見えない壁、世界に広がる無数の、何層にも渡るガラスの壁を感じるのは、「誰かに何かを伝える」という
局面に立ったときです。
「誰かに何かを伝える」ということは、非常に難しい。
なんでもかんでも伝えればいいというものでもなく、
不必要なものをできるだけ削らなければならないし
簡潔に、丁寧に、明確に伝える技術が求められます。
ある時、「誰かに何かを伝えること」の細部を冷静に観察すると、
(傍観していても)「誰かから何かを受け取ること」から
成りたっていることに気づきます。
個人的な比喩ですが、思うに、
「誰かに何かを伝えること」は「二酸化炭素の放出」であり、
「誰かから何かを受け取ること」は「酸素の吸引」であり、
「コミュニケーション(情報の授受とその波紋)」は「呼吸」のように、
情報を循環させることによって正しく機能するのではないでしょうか。
息を吸って、吐くがごとく、そのどちらか一方が欠陥があるだけで、
窒息するか、過呼吸に陥ってしまうのです。
とりわけて僕は、「酸素(情報)の吸引(受取り)」が非常に不得手で、
日々、苦労しています。
時折、酸素の吸引を怠り、窒息状態に陥ることもあります。
よく「コミュニケーション能力」なんて言葉を耳にするけれど、これは、
「情報の受信と発信の能力」(=呼吸能力)であり、決して、
「話上手」ではありません。
吐いてばかり
生来、僕は「情報の発信(放出)」については、得意気な顔で過ごしてきましたが、(「ずずちゃんは話上手だねぇ」なんてお世辞を言われることもありました。)
とはいえ、僕がやっていることは、
「頭に浮かんだことを躊躇いもなく放出する」といういわば
僕にとっては、脊髄での会話(反射)に過ぎません。
僕の発信する情報もまた、情報の受け手にとっては、
吐き気以外に何も与えないような、虚言に満ちた焼酎甲類のストレート
ばかりが目についたように思います。
一方で、「情報の受信(吸引)」という部分については、不器用そのもの。
相手の話を聞き、理解し、要点をまとめること、また、
相手により多くの話をさせて、より多くの情報を得ることについては、
まったくの下手くそだったのです。
スキー暦20年、未だに初心者コースをハの字(ボーゲン)でしか滑られない下手くそさです。
とはいえ、(僕の仕事に限らず)世の中に存在する仕事の多くは、
「誰かから何かを受け取り」かつ「誰かに何かを伝える」
という所作がほとんどを占めているように思えます。
組織の中で、組織の一員と働く場合においても、
毎日が「情報の受信(吸引)」と「情報の発信(放出)」という業務の繰り返し。
情報発信の主体(または客体)が社内、自分の上司、チーム員、他セクション、
外部、クライアント(お客さん)や協力会社と変わるものの、
情報を介した呼吸が、日々の業務の大半に関係しているのです。
常に「情報」を「受信(吸引)」し、それを栄養とし、また精査して、加工して
「発信(放出)」すること。
ひたすら、それを繰り返すことで、仕事はうまく循環するのです。
また仕事以外でも、(家族、友人、恋人、買物、旅行、公的機関、スポーツなど)
生活のほとんどがこの「情報の吸引」と「情報の放出」に集約されているかもしれません。
社会人への教育的一歩
社会人1年生によくありがちなのは、情報の発信(放出)に偏ってしまうことです。(僕もそうでしたし、今もその傾向にあります)
これは決して「自分の意見を言う」ことは良くないという意味ではありません。
「自分の意見を言う」ことはむしろ歓迎されます。
また、「わからない」ことについて「わからない」とはっきり言うことも大切です。
社会では「無言」は「同意」と見なされます。知ったかぶることで、
ちょっとした恩恵を受けるケースもありますが、「重要な事柄」であればあるほど、
「わからないです」「それはどういう意味ですか」
と発信することが大切なのです。
例えば、重要な会議で「質問がない」「意見がない」。そんな場合、
「あなたは、なぜこの場に参加したんですか?」
「本当にわかっているんですか?」
「外で珈琲をすすって、雑誌を読んでいた方があなたにとって
有益な時間を過ごせたのではないのですか?」
と思われる可能性すらあります。
とりわけて、社会人1年生は、わからないのが当たり前、
「わからない」と言わない方が不自然なのです。
ただし、限られた時間の中で誰もが言いたい事を言ってしまったとしたら、
話はまとまりません。時間を浪費して、もっと優先すべき事柄にあてるはずの時間を
失ってしまうかもしれません。
ビジネス(仕事)の世界は、「情報」=「お金」と同様に、「時間」=「コスト」と
見なしているため時と場合によっては、「いらない情報」は「時間の無駄」と
捉えられることもあるのです。
例えば外で
例えば、あなたが「営業職」にいたとして、お客様(クライアント)と商談の場を獲得した場合、まず一番重要なのは、「ヒアリング(=聞くこと、情報の吸引)」。
その上で、そのクライアントがどういう状況にあり、
何に困っているのかを分析する。そして、解決策を考える。
時として、それは、自分の会社の企画をもって、クライアントを助けることができるケースもある。
クライアントはまったく困っていないケースもある。
解決策があっても、自分の会社では実現が難しいケースもある。
情報を提供して、それで解決することもある。
しかし、多くの社会人1年生は、経験がないに等しい。知識も乏しい。
知識といっても、出来たてホヤホヤの真新しい情報に過ぎない。
そんな場合、最初のヒアリング(情報収集)の段階でつまずく可能性は高いのです。
また、そもそもヒアリングをせずに、自分の会社の企画をとにかく説明して、
「売るため」の方程式にはめ込もうとしてしまうこともある。
クライアントにしてみれば、「やれやれ、時間の無駄だ」と内心思ってしまい、
今後、全く相手にされないことも考えられます。
例えば内で
例えば、あなたが、社内にいて、上司に、何らかの報告(または相談)をもちかける場合、
「上司は暇ではない」ということを想定しなければいけない。
報告の内容と意図を明確にし、できるだけ簡潔に、結論から述べないといけない。
ずず自身にも、もう一度言おう、「結論から述べないといけないのだ。」
(必要があれば)6W1Hを補足しなければならない。
自分の思い込みや主観はそれほど求められない。
「きっと〜だと思うんです」とどうしても言いたい場合、
その根拠、理由も準備しておく必要がある。
刑事ドラマで、目にするベテラン刑事の直感は、
経験に基づくもの、多くの事実の積み重ねによる方程式が導き出す弁証法であり、
社会人1年生の直感を、鵜呑みする上司はそうはいない。
信頼されるべきは事実と結果のみ。
その事実と結果を、多くのケースにはめ込み答えを導き出すことは、
社会人1年生の意見で完結することはないのだ。
ただし、自分で推論し、その答えを想像することは、間違っていない。
考え、想像することで、成長はより加速する。
報告が終わった後に、自分の考えを述べるくらいは、
上司にとっては消費税と変わりないかもしれません。
地下鉄の中で
先日、上司がこんなことを言っていました。「ずず氏、営業の現場は恋愛と一緒だ、お客さんのことを好きにならければいけない。
興味をもたないといけない。そのために、お客さんについてたくさん知らないといけないし、
お客さんの興味がある話題をこっちも準備しておかないといけないんだよ」
「なるほど、そうすれば商談(恋愛)は実りますか?」
「ただ、お客さんにも好みがあるからなぁ、一人のお客さんに入れ込んでばかりもいられない。
必ずしもお客さんがこっちを振り向いてくれるとは限らないし、振り向いてくれるまでに、
長い年月が必要かもしれない。重要なのは活動量だよ、ずず氏。
たくさんのお客さんにアプローチする必要があるんだ。
そして、何度も言うようだけど、まずはお客さんの立場に立って考えるんだ。
綺麗で可愛らしく性格のいいお客さんには、ずず氏以外にも多くの若者が
アプローチしていることも忘れないように。
実はいい人を見つけて、そっちとくっつくことを決めているけど、
(情報提供を目的に)ずず氏と付き合ってる場合もあるんだから。」
「そんなの、傷ついちゃいますね。」
「傷なんかついてしまえ、振られてもいいじゃないか。
何度もアプローチしていれば、きっといい人が見つかるよ。
いいか。重要なのは活動量とコミュニケーションだよ。
ずずはもっともっと出会いの数を増やさないといけない。
今は誰ともお付き合いする気がないお客さんでも、いつかパートナーが必要になることもあるし、
決まった相手とお付き合いしていてもそこにいつ破局が訪れるかはわからない。
そのときに、お客さんと一番近いところにいる努力が必要なんだよ。」
「僕はオクテだからなぁ、おまけに聞き下手ときています」
「まぁ、それについては・・・おっ、駅に着いたか、
じゃあ頑張れ、そしてちゃんと飯を食えよ」
「・・・」
今回はこの辺で。
最後まで、長い文章をご愛読ありがとうございました。
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